単調な日々、日常の敵、文化への警戒

2022年8月14日

単調な日々は人間を狂わせる。

生活習慣を固定化すると、とても毎日が楽になるが、いつか罠を仕掛けられるかもしれない。

生活習慣を見直すことは、ある種日常のバグ取りのようなものかもしれない。自分の生活から、不純物を取り除き、時に新しい何かを足したりすること。そして、何かを変えると、新しい何かに気づく。

例えば、最近スピーカーを新しくした。これまでは引っ越してすぐに買った安いサウンドバーを使っていたのだが、満足する音質とは言えなかったので、もう少しちゃんとしたアクティブスピーカーにした。

大きい音が許される環境ではないのでそこまで高いものを買っても仕方ないし、ヘッドホンで十分かなと思っていたのだけれど、空間に音が鳴っているというのはやはり良い。

聴いている音楽は年を重ねるごとに色々と変わっている。

もちろん昔からずっと聴いている曲も聴いてはいるし、それらが嫌いになったというわけでもないけど、私はどちらかというといろいろな音楽を消費していくタイプなのかもしれない。

今はプロセカにハマっているので、プロセカに入っている曲はよく聴く。特に月光は最近めちゃ聴いてる。

あなたみたいに なれやしなくて あの月を追いかけるように 渇いた心は満たされないまま

あとはピーナッツくんの曲もよく聴いてる。これはスピーカーを買った影響も大きくて、ビートが気持ちいい曲聴きたいなーって思うことが増えた。

何かにハマると、その周辺の文化を丸ごと識りたくなるし、それを好きになりたくなる。

そのせいで逆に嫌になってしまうこともあるが、そうなったら別の気になるコンテンツを乗り継いで今まで生きている。

みんなそんなものだろう。何かの内輪に入らないとやっていられないんだ。

文化は大事だけど、それに染まりすぎてはいけないなぁ、となるべく思い返すようにしている。なにかに夢中になるのはそれはそれで素敵なことなはずなのに、どこかで夢中になりすぎるなってずっと考え続けているような。

私はとても感情に流されやすい人間だと思っていて、そうなりたくないと強く考えている。

なるべく感情的なことを表に出さないように努めていて、ある時期からは、ずっとそうありたいと思いながら生きていると言っても良い。

だから、普段から論理的で冷静な思考をしているように傍から見える人が、感情に流されてそうな非論理的な思考をしているのを観測すると、らしくないな、と思うと同時に、ああ、この人もちゃんと人間なんだ、と安心する。

テキストベースのインターネットは本当に素晴らしいところで、画面の向こうで私がどれだけキレ散らかしていても、それを誰かが知ることは無い。

自分だけの感情というのはとても尊いものだ。好きも嫌いも、誰にも邪魔はされたくはない。だけど、自分の好きとか嫌いを共有して共感されるのってめっちゃ気持ちいいよな。

だからせめて、自分の言葉で好きとか嫌いは表現したいな、とは思っている。他人の引用で自分のお気持ちを表明したくはない。Script Kiddyみたいな、Okimochi Kiddyにはならないように頑張ろう。