死に至る病

2023年3月13日

精神が不安定になってしまった友達から、希死念慮地味たメッセージが送られてきたときの
「正しい」対処方法とはなんだろうか。


つらいことから逃げたところで現実は待ってはくれない。
そう、大人は責任と義務からは逃れられないんだ。1
誰かに押し付けるか、それを可能にする力でも無ければ。

「今日がいい日じゃなくても、明日はいい日になるかもしれないって思えるように」2

趣味でもなんでも、何かに夢中になること。
現実じゃなくても創作物からでも、わたしたちは希望を受け取ることができる。

現実でなにも持っていなくても、捏造、想像、妄想…、
わたしたちは実体のないなにかを造りだしてそれを世に放つことができる。
それが誰かにとっての希望になることも、あるかもしれない。
あるいは、それが誰かにとってどうしようもない破滅となることすら。

虚構に逃れたところで、妄想で腹は膨れない。 どこからか現物を調達しなくては。

ときに宗教などがそこに入り込むのだろう。
悪魔や死神でもいいのだ。ただあなたがそう信じれば良い。祈りは必ず届く。

「苦しいんだね。辛かったら逃げてもいいんだよ。生きてさえいれば、きっと何とかなる」
この言葉の空虚さが恐ろしすぎて、私はそれを口にすることができない。

「そうだね、ここがきみの終着点。あなたの人生は客観的にみて詰んでいる。」
そう告げるのも、誠実と言えるのかもしれない。

歳を重ねてお金もない大人に、当然奇跡は起こらない。
トラックに轢かれても線路に飛び込んでも、もうどこにも行けやしない。

欲しい言葉はだいたい解るよ。でもそれをあげることは残念ながらできないな。
自分を救うことができるのは自分だけ、みたいなありきたりな答えならあげられる。

あなたの痛みの本当を理解してあげることはできないし、苦しみを取り除く力があるわけでもない。

なにより、わたしはあなたの人生にそんなに興味がないから。
…友達?もちろん、そうだよ。


  1. ブルーアーカイブの最終編、良かった。

  2. プロセカのモモジャンのストーリーはいいぞ。