劣化に抗う
思考が劣化している。昔は持たなかった感情、思考、行動。 変化かといえば変化だけど、好ましくない変化は退化であり、劣化であり、抗っていきたい。
自分の変化をどこまで自分で見極めることができるのか。 なにせ見極める自身の性能が落ちている前提に立たなければいけない。 まだ自分の考えは信用できるのか。他人からみた自分はどう見えているか。 相対的な自己と、絶対的な自己、信じるべきはどちらなのか。
徐々に狂い始めている。
狂気に抗うには鍍金をするしかない。取り繕うこと。 今までもやってきたことだし、これからもっと頑張らないといけない。 他の人の思考や行動を取り入れてでも、自分の姿を保たないといけない。 それはキメラであり、ゆく河の流れであり、船である。
いつか、自分は本当はそう思っていなくても、そうしないといけないことも来るのかも。 そのときにできる自信はないし、多分そうなったときにはもう遅いのだろう。 自分の内だけの思考だけで回していたら、いつの間にか見失ってしまうのだと思う。
感情になる前の心の動きを、口に出す前の考えを、箱を開ける前の猫を。 事象として確定させることは劣化であり、微分であり、形而下学である。 そのままをそのものとしておけばいいのに、なぜこれだと語ってしまうのか。名前を付けてしまうのか。 自分が分かっていると言いたいだけなのか、理解ができないことが不安なのか。
ところで、やっぱり君のそれは間違ってると思うんだけど、私は狂ってしまったのだろうか。