齢24、未だにナニモノかにならなければならないとの焦燥が抜けない。明日も早いが灯を消した部屋でキーボードを叩く。
小学4年生の頃、東京理科大学のベンチャーか何かが開いた起業家育成教室?みたいなものに参加した。
無論僕がそこ行きたかったから行ったわけでもなく、親が行ってみろって言うから行った感じだ。
そこで習ったのは経済学の初歩の初歩に、英語に、パソコン。
経営学ではジャック・ウェルチの「わが経営」を教授が読むのを聞いたりしていたが、最早何一つ覚えていない。
英語は結局小学6年の時に英検5級を取ったくらいで、中学の予習程度にしかならなかった。
(おかげで中学の最初の方の英語の成績はすこぶる良かった。)
はっきり言ってこの2つは退屈で仕方なかったが、パソコンの授業だけは好きだった。
最初のうちはWordやExcel、PowerPoint(ただしMS OfficeではなくStarOffice、日本ではStarSuiteと呼ばれた )
だったりHTMLをちょっとやったり。僕はお世辞にも真面目な生徒ではなかった。
大抵隣の席のやつとネトゲをやっていたからだ。
何せ当時大学は既に光回線を導入しており、最高級のインターネット環境が備わっていた。
今思えば生意気だったと思うけど、そういうのもあってアシスタントの大学生と仲良くなり、色々と教えてもらっていた。
ある日サーバートラブルで授業が出来なかった日があった。
シンクライアント(Sun Ray)だったのでサーバーが落ちるとクライアント側も全て使えない。
とても退屈だったので大学生のアシスタントがエラー対応にサーバールームに行くと言うのでついて行った。
サーバールームはとても魅力的だった。UNIXサーバーが小学生の自分にはとても巨大に見えた。
コンソールを叩く教授がとても凄い人に見えた。その時はすげぇ~、くらいにしか思ってなかったけど、
2回目のサーバートラブルが起きた時も連れてってもらって、ただ見てるだけで楽しかったし、
小学校を卒業する段階で会場が遠くなって、そのスクールは止めてしまったが、
教授や大学生のアシスタントの人の顔や名前を忘れてしまっても、サーバールームのことだけはずっと忘れなかった。
小学校を卒業する頃には気づいたら家族の誰よりもパソコンに詳しくなってたし、
学校のパソコンのセットアップを先生に頼まれるようになってた。中学・高校の情報のテストでは学年1位を取った。
情報系に行くのがいいんだろうと思って理系を選んだが、理系科目は軒並み苦手だったし、数学は再テスト常連だった。
受験で失敗して浪人と同時に文転したけど、大学で結局図書館情報学をやることになった。
そして結局僕は就職先にIT業界を選んだわけだけど、この選択は当然、というか、
自分が仕事をしている様子を想像した時に、やっぱりこの業界しか思い浮かばなかった。
別に他の仕事も出来るとは思うけど、僕はやっぱりあの日の体験が忘れられないし、憧れてたんだと思うから。
何かしら近くで携わっていたいし、いつかそういう仕事をしてみたい。
でも仕事に生きるつもりはない。