Flames of first glory

2016年6月10日

僕と同年代の埼玉県民のみなさまなら分かると思いますが、
僕達が小・中学生の頃、「郷土を描く美術展」ってありましたよね(今もあるのかもしれないが)。

多分中学2年生のときだったかな。僕は近所のちょっとした森?みたいなのを描いたことがあるのですが、
今となってはそこは再開発で全て綺麗さっぱり無くなっていて、新たに家が10軒くらい建ってて。
前は森と共に水田に水を引くための沼みたいのもあって、そこには白鷺が羽根を休めていたものでしたが、
無くなって最初の1年こそすぐ近くに所在なさ気に佇んでいたものですが、それもいつしかいなくなり、
代わりに出来たゴミの集積所にカラスが集うようになったっていう感じです。
んで、すげーしょうもない小さな風景なので、どうせ写真とかも残っていないので、
その絵がわりと貴重な資料というか、僕の原風景として仕舞っておきたい感じなので、
家に残ってないか探してみたのですが見つからなくて。
それは確か町内→埼葛地区の展覧会まではいったはずで、そのあと中学校の美術室に飾ってあったはずなんだけど、
そういや返してもらった憶えがありません。残念でもないし当然ですけどもう無いんでしょうね…。

何が言いたいかって、別に何も言いたかないのですが、一晩でガラッと変わるんだったら、
ああ変わったな、って思うのですが、徐々に少しづつ変えていって、
ぱっと見ても昨日と何が違うのかわからないんだけど、数カ月後にはもう全然違うものになってる、
みたいなのって、わりと世の中探せば結構出てきそうなものですが、
結局僕らが変わったな、って比較するのはどこぞの心の想像だったり、
あるいは一時点を切り取った写真だったり絵だったりするわけです。

ある種のデジタル的な一時点と今を比較してもあまり意味がないと言われるとそんな気もしてきていて、
その比較対象の一時点だって結局何かしらの変化の途中なんだろうなとか、
考えてもどうしようもないことばかりが浮かんできます。
そうして比較対象を引き伸ばしていって最後まで残ってるのってやっぱすげぇんですかね。
これ結局何が言いたいんだ。わからないや。
この歳になって変わったものと変わらないものを今更意識しだしているのかもしれませんね。

僕はほとんどの場合で、誰かの一番にはなれませんでしたが、その代わりに色々な方と仲良くはなれました。
でもそうやって仲良くなったみんなも、結局僕に何も言わないで遠いところに行ってしまいます。
見送ったひとが、何も言わないで勝手に大人になっているのが、嬉しいような悲しいような。
何様なんでしょうね僕は。 気づいたら誰も残っていなくて、僕だけがずっと同じ場所にいるんです。
僕が今まで仲良くしてたと思っていたことが、そもそも間違いだったんじゃないかって。
どっかで予期せず合った時に「変わらないなぁ、yukinoくんは」って言われるのが、一番こわい。

誕生日に香水を頂いたり、京都みやげにお香を頂いたり、最近妙に香りづいているのですが、
旅行土産にお香をチョイスする友人Kセンスには拍手を送るしかないので、
とりあえず僕もそういう渋いチョイスができるようになりたい。天然素材だけ使っててめっちゃいい香りがするんだわこれが。