時を止めたまま

2022年6月10日

今住んでいる街は、暮らすにはちょうどいい場所だが、それだけだ。

キラキラした何かはない。毎日この場所に帰ることの意味を考えている。ただひたすらに何もない生活へと埋没していく感覚だけがある。

部屋から一歩も外に出ない日が一番心穏やかにいられる。自炊して掃除をして、洗濯をして、一人で生活できている気になっているときが一番いい。冷蔵庫にある食材を誰が作ったのかなんて考えない。どうして水道からきれいな水が出るのか、どうして電気が点くのか。どうしてインターネットには常に多くの情報が飛び交っていて、みんな普通に生活しているようにみえるのか。考えたくもない。

都合良く社会の繋がりを、人間の営みを眺めては、自分はもっとキレイなものだと勝手に思っている。くだらない街で何もない生活をするだけで、傲慢にも孤独だと錯覚している。

死ぬことが何よりも怖い。死にたくないから生きていると言ってもいい。 生きているよりマシさ、といつか誰かが唄っていたが、今は死んでいるよりはマシさという想いで生きている。

波を立てずに穏やかな暮らしで 目立たないように慎ましやかにして

でも、もし死後の世界があるとして、死んだ瞬間の意識をそのまま持っていく仕組みなんだったら、今すぐに死にたいし、何ならもっと早く死んでおきたかった。昔の自分はもうここには居ない。

老いるのも怖い。何なら毎日少しずつ老いているのだが、それを認識するのが怖いし、たまにどこかで実感する断絶がたまらなく嫌だ。なるべく今の意識を保っていたくなる。次に目を覚ましたときに、同じでいられる自信がなくて。

出来れば世界が終わるまで生きていたいし、何なら世界が滅ぶところを、自分だけ他人事みたいに見ていたい。痛いのは嫌だから、一瞬で意識を奪うか、正気を失わさせてほしい。

言葉にするのも怖い。途端にそれが大したものでないことに気づくからだ。この気持ちがただの文字列で片付けられてしまうことが耐えられない。勝手に解った気にならないでほしい。言語以外にも手段はあるが、別に君に触れたいわけでもない。わざわざ不自由な手段を選んでいるんだ。

伝えたい言葉があるとすれば、ずっと嘘をついているということだけだ。