音のなる秒針が苦手だった。
子供部屋の壁掛け時計は、子供部屋にはあまり似合わないようなレトロなデザインだった。
金色の秒針が、音もなく途切れずに滑っていくのを眺めているのは、結構好きだった。
リビングの壁掛け時計は、細長く黒い秒針が、ちっちっちっ、と無機質な音を刻んでいて、
昼間に普通に過ごしている分には気にならなかったが、夜中に誰もいない時に聞くその音はなんだか怖かった。
中学生くらいの時には子供部屋の壁掛け時計はこわれてしまい、
手先の器用な父親は時計の文字盤はそのままで、時計の心臓部を別の時計に付け替えて直してしまった。
見た目は変わらないまま、今度は細長くて黒い、少し文字盤の大きさにしては短くなった秒針が音を鳴らすようになった。
眠れない夜には、秒針の音に合わせて数を数えながら呼吸をした。
やがて金縛りのように手足の感覚が無くなるような浮遊感に身を任せながら、夢と現の間を彷徨ったものだった(このやり方は高校の友だちが教えてくれた)。
幽体離脱は精神体が上に登る様子をイメージされがちだが、 個人的には身体の重さをより感じるようになって、潰されながら抜けていくほうが感覚として近い。 (わたしだけかもしれない。)
閑話休題。
大学受験用に買ったアナログ時計をいまだに使っている。
値段は高くはないんだけど、電波ソーラーなので充電もいらないし正確で、それなりに便利だった。
ある時期から秒針だけがうまく動かなくなってしまって、逆進したりするようになった。
あまり時計の構造には詳しくないが、この時計の分針と秒針は連動するわけでもなく独立で動いていて、
秒針が変な動きをしても分針はそのまま正確な時間を示し続けていた。
なので何時何分、までは正確だけど、何秒なのかはよくわからない、なんとも中途半端な時計になっている。
捨ててしまってもいいのだけど、止まっているわけでもないので買い替えられずにいる。
雨模様で閉め切った、淀んだままの空気の部屋で、23秒と24秒をずっと刻み続ける秒針をずっと眺めている。
冷蔵庫のコンプレッサーの音、パソコンのファンの音、お風呂場の換気扇の音、消えない耳鳴り。
この時計の秒針は音がしない。
停滞したくない。
停滞していると思いたくない。
良くなっているのか悪くなっているのか、進んでいるのか戻っているのか、そんなことはどちらでもよくって。
ただここにいてはいけない、という気持ちだけで、行くあてもなく進んでいる。
生き方だけは上手になったが、大事なことを忘れているような。
同じところに戻ってくるなら、せめて前と違うわたしになっていたいよね。
久しぶりに会っても君は変わらないね、なんて、絶対に言われたくないから。