飽食る時

生活に厭きている。


最近もう何も要らないかも、と思うことがある。 静かに息をしているだけで十分だと思ってしまう。

これ以上、どこからも足すことも引くこともなく、 夜寝て、このまま目が覚めなくてもそれはそれでいいかも、とか。

仕事の評価は私の自己評価よりもずっと高くって、 いつの間にか乖離したそれを裏切ることにずっと怯えながら、 期待に追いつけるように足を速めても、もっと、もっとって。 もうだいぶ、逃げてしまいたい。

やりたいことも欲しいものもあるのに、 それを実現するためにはもっと頑張らなきゃいけないのに、 足を留めたくなってしまう。立ち止まってしまいたくなる。

とはいえ、「このまま」を続けることも最近は随分と難しくって、 ずっとやっていたいと思っていたことは 満足にやらせてもらえる機会が来ることもないまま、 いつの間にか私がやるより、後進の人にやらせてあげた方が いいような時期になってしまった。

揺るがないような実績が、自信がつく前に、 もう十分できるから、と教える側をやらされている。

理由はもう十分に理解してて、要は基準がずっと低いところにあるのだ、 それは少しずつしか上がらなくて、連綿とつづく過程のひとつとなっている。 せめて続く人が進みやすいように、少しでも遠くまでいけるように。

そうこうしているうちにいつの間にか、 確率的な演算装置で十分代用してしまえるようになっている。 もう後進の人にもやらせてあげられないかもしれない。

幸いにもそれは仕事でなくてもできることではあるし、 時間の無さはそれこそAIが埋めてくれる。 そういう意味ではいい時代なのかもしれないが、 結局やりたいことってそれだったんだっけ、という気分になる。

誤字脱字、言い回しを添削してもらって、きれいな文章が出てきて、 言いたいことは同じでもそれは私の言葉じゃないように感じてしまう。

それも傾向と対策で、パーソナリティを学習すると、その違和感すらも無くなってしまうのだが、 むしろ違和感を覚えなくなるように自分が迎合しただけなのではとも思う。

そろそろ引っ越しでもした方が良いのかもしれない。

淀んだ水が溢れだす瞬間を、 決壊し全てを壊して押し流していくのを、待ち望んでいる。